反社会的な考えは多様な価値観の下に肯定されるか
2001/9/9


例えば、資本主義をとなえるのは、共産主義国では反社会的です。
さきの戦争中の日本で反戦をとなえるのも反社会的でしょう……。
数百年前(?)なら「奴隷の解放」が反社会的かもしれません。

時代等によって価値観は変わります。
正反対になることだってあるでしょう。

だからこそ、多様な価値観の存在を尊重しなければならない。
たとえ、それが、今の社会にとって反社会的なものであったとしても……。

と言って、何%の人が納得するでしょうか?
ちょっと興味が湧きます。

反社会的な考えというものが本当に反社会的かどうかは分かり得ません。
そもそも、「本当」というものがあるかどうか自体、怪しい。

いえることは、“正しさ”は勝者と共に在る、ということくらいでしょうか……。
勝てば官軍、というわけです。

そして、官軍は、常に同じではないし、多様な価値観の全てを尊重しようともしないでしょう。
否定する気はありません。
多様な価値観の全てを尊重することは、すなわち自己の価値観の否定。
矛盾してしまうわけですから……。

多様な価値観の方向が全て同じ向きを向いていたらそんなこともないでしょうが、
それを多様な価値観と呼んでいいものかどうか……。
それこそが人類の新たなステップと考えられなくも無いですが。